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平々凡々なぼくの日常生活は大空を彼女が覆うことで、いとも簡単に崩れ去った。
銀色に染まった大空を仰ぎ、過ぎ去りし彼女たちとの日々を想う。これは魔女と呼ばれた彼女と、女神と呼ばれた彼女と、傍観者であるぼくの物語だ。

異変から時は遡って三か月前。9月のことだ。
未来の見えないニュースへの母親の嘆き、クラスメイトのたわいもないウワサ、近所で起こった不審な事件-これらがぼく、夕野凪を取り巻く全てだ。
ふわりと朝食のかおりが鼻をくすぐる。台所では母のヨッシーこと佳子がスパムおにぎりとお味噌汁を慌ただしく用意しているのだ。
「おはよう凪!ゆーちゃんはとっくに出かけたわよ。凪も早く食べてね。お母さんも早く出なきゃいけないから」
ゆーちゃんはぼくの5つ年の離れた妹で、インドアなぼくには似ずに運動能力に長け小学三年生にして陸上部に所属し大会で賞を獲ったりしており、クラス内の人気者だ。けさも朝練に出かけたのだという。
ぼくはインドア派のため中学二年生にして部活無所属の帰宅部で、朝もこうしてぎりぎりまで家での時間をエンジョイしているといったわけだ。
『さて次のニュースです。天文学者の間で太陽のエネルギーの低下が報告されており、寒冷化の予兆といわれています。今後さらなる研究が…』
「やーね。今年の冬は寒くなるのかな?お父さん寒がりだからインナーウェア買っておいてあげなきゃ」
ヨッシーが不安げにテレビのニュースをみつめる。朝からみんなが不安になるニュースを流してなんになるのだろう、とぼくは思うけれど、思うに世の中というやつは「世の中は厳しいんだぞ。気を緩めるなよ」という事を伝えるために朝からバッドニュースを流しているのではないだろうか。
太陽は長いこと営業してるんだし、いまさら太陽をやめちゃうなんてことないよ。と適当な相づちを打ちながらごちそうさまをした。

学校への坂道を歩いていると、背後からステレオでいつもの挨拶が聞こえる。
「おっはー!」
「おはよう」
元気が溢れたおっはー!の声の持ち主は、夏野碧。声からも見た目からもはつらつさが感じられるボブ姿の少女だ。
落ち着いたトーンで発されたおはようの声の持ち主は、夏野朱。いかにも秀才といったお嬢様風のぱっつん前髪のロングヘアの少女だが、碧と顔はうりふたつ。というのも、碧と朱は一卵性双生児なのだ。
聞いた話だと碧と朱は幼い頃は双子らしくと同じ服・同じ髪型を親から与えられていたのだが、成長するにつれは二人はつらつ・おっとりという正反対の性格を見せるようになり、正反対のファッションを歩み始めたといわれている。
彼女たちはぼくのクラスメイトで、中学からと知り合ってから日は浅いが、ある事件が縁で毎朝の挨拶を交わすまでになった。
朝食を食べてから家を出たにも関わらず、コンビニで買った菓子パンの袋をびりびりとやぶきながら碧が世間話をはじめる。
「凪のクラスの吉田さん、学校来ないらしいね」
「碧、そんな食生活してると太るぞ」
「そんな話をしてるんじゃないのっ!私の話じゃなくて吉田さんのはーなーし!」
ふくれっ面で丸い菓子パンをほおばったものだから、碧の顔はまるでリスだ。げっ歯類なの?と口に出そうと思ったがやめる。
「体でも悪くしてるんじゃないのか?ぼくは知らないけれど」
「吉田さんだけじゃないの。私たちのクラスにも理由もわからず不登校になった子がいるの」
朱が含みのある物言いをするものだから、ぼくは少しだけ不登校事件のことが気になった。このご時世不登校なんて珍しくもなんともないけれど、1学年にそう何人も出るものでないというのはわかる。
「でも、よくあることじゃない?夏休み明けに休みがちになるってさ」
いまは9月で、夏休みが終わったばかりなので中学生としては気の緩みもマックスだった。ぼくも次の休みまで指折り数えているくらいだ。
「たしかにね、偶然かー。つまんないの!」
菓子パンを食べ終わった碧が言葉通りつまらなそうな顔をする。学校から、もうすぐ時間だぞ!という声が聞こえたため慌てて三人で走りだし、この話題は打ち切られた。
碧をいさめつつ、ぼくも、この時「なにか刺激的なことが起こらないかな?」と心の中で考えていたのだ愚かにも。今考えると、愚かとしか言いようがない。日常こそ取り返しがつかないものはないのだ。目の前の幸せをきちんと手を掴んで離さないようにしなければ、風に飛ばされるのごとくすぐに失ってしまうのに。ぼくは。なにも、できなかった——。

数学の授業を念仏のように漠然とした印象で聞いているなか、ぼくのポケットに入ったスマートフォンがぶるるとメッセージの着信を伝えた。
教師にばれないようにメッセージを確認すると、「選ばれし御子よ」というありえないレベルの怪しい件名だった。送信者は…知らないアドレスだ。完全なスパムだろう。
ただ、ぼくは刺激に飢えていたし授業に退屈していたのもあって、この時メッセージの本文に目を通す気になった。

『選ばれし御子よ。力を持ちし偉大なる存在よ。使命を全うするため目覚めなければなりません。過酷な道のりになるでしょう。多くを捨てることになるでしょう。それでも、未来を選択しなければならないのです』
やばいなー。いつものスパムより頭のネジが外れているといえるだろう。思わずメッセージの続きを目で追った。
『封印は既に解かれています。あなたは未来を選択しなければなりません。自らの使命を知るため、鏡音神社で月が満ちたとき姿を映すのです』
正体不明のメッセージはそう締めくくられていた。なんだこれはーとぼくは訝しがるいっぽうで、鏡音神社というこの市では聞き慣れた神社の名前が書かれていることが気になった。
怪しげなWebサイトに誘導してクラックしたり、個人情報を抜き取ろうと返信させる策を取るはずのスパムメールが、ただ神社に来いという。神社で誰かが待っているのだろうか?それこそやばいのかもしれないーと警戒心が沸き上がった所で授業に意識を戻した。